wasuremono60のブログ

突然ブログをはじめました

金持ち父さん貧乏父さん

 定年退職後のセカンドライフに〇〇円必要。年金では生活できない。……そんな情報ばかりが目に入る年齢になった。
 QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上とか、新たな趣味にチャレンジとか、資産運用とか、そういうことが必要で、ぼ~っと生きることは許されないらしい。
 自分の人生なんだから好きに過ごさせてくれ、と言いたいところだが、ダラダラと過ごしていると認知症のリスクが高まり、結局家族に迷惑をかけることになる。


  ジミ・ヘンを聞きながら、老後に思いを馳せていたら、すべてがうまくいく趣味を思いついた。競馬である。
 大学時代、熱心だった頃もあったが、今は全く競馬に関心はない。
 当然馬券も30年以上、購入していない。
 フジテレビの競馬中継も見ないし、ダービーがいつ行われていたのかも忘れた。


 大学生の当時、負けなかった。
 自分なりの必勝法があったからだ。
 競馬ファンというのは、すべてのレースを購入しようとする。
 自信があろうがなかろうが、とにかく買えるレースはすべて買う。
 買ったり負けたりするが、結局トータルでは負ける。
 私の必勝法は、勝てる馬券以外買わない。つまり自信がなければ買わない。
 これで勝率は、俄然上がった。
 実はこれ、意外な必勝法ではない、と後から知った。
 今から考えれば、投資の極意のようなものを知らず知らずのうちに実践していたのだった。(今、調子に乗っています)


 さて、競馬こそがすべてがうまくいく(かもしれない)趣味である理由はこうだ。
 血統をはじめ、様々なデータの研究(?)は、脳の活性化につながる。
 実際に馬券を握りしめて競馬を見る時の興奮は、人生の喜び(??)を実感できる。
 日本各地の競馬場を巡れば、健康増進。
 うまくいけば資産運用(???)も可能。ちなみに確率でいう期待値ならば、宝くじなど論外だ。
 一石いったい何鳥だ!
 素晴らしきQOL!!


 すべてジミ・ヘンのせいだ。
 馬鹿馬鹿しい思いつきのはずだったが、だんだん悪くない気がしてきた。
 すべてジミ・ヘンのせいだ。


娘を羨む

 今年60歳で、定年である。
 年金をもらえる65歳までは再就職ができるので、続けるつもり。こんなご時世で、続けられるだけ恵まれている。
 続け方にもいろいろあって、フルタイムから時間給まで選べる。
 もちろんフルタイムでも手取りは4割下がる。今の仕事以外するつもりはないし、そもそもできないので、4割下がっても職業選択の余地はない。


 55歳頃に、自分に大きな変化があった。集中力が続かない。モチベーションが上がらない。新しいことに気持ちが向かない。
 仕事が手に付かないというほどではないが、明らかに気持ちの変化を感じた。
 59歳で、それが更年期障害らしいと気づいた。テストステロンが減少していた。実際に医者で調べて確認した。
 ホルモン注射をしてみたが、あまり効果らしい効果もなかったので、3ヶ月ほどで漢方薬に変えた。
 漢方薬が、すこしは役立っている気がする。気は心か。


 自律神経に関しての症状はなかったので、単にやる気がでないだけと高を括っていた。
 とはいえ、なるようにしかならないことなので、落ち込んだりはしていない。
 もしわかっていたならば、なにか準備しただろうか。
 いや、何もしてないだろうな。 


 定年の年に定年後のことを考えはじめた。仕事をしない自分。仕事以外のことをしている自分。仕事以外のことって、何ができる?
 若い頃考えていた定年退職後の事は、その前提がすべて崩れ去った。
 肉体も、脳も、自分史の全盛期のままを前提にしていた。


 一番身近にいる老いの見本は、父だった。
 父は93歳で亡くなった。最後の1年間は、病院で過ごしたが、亡くなる直前まで、脳は衰えることなく(少なくとも私は感じた)若い頃のまま明晰だった。肉体も、入院するまでは日帰り登山ができるほどだった。
 結果論だが、私にとっては良い見本ではなかった。私の現実とは、違いすぎた。偉大なる父よ!


 定年退職後の私は、何をしているだろう。
 娘が最近、就職して初めてのボーナスでサックスを買って、吹きはじめた。もともとピアノを弾くことが趣味で音楽好き。音楽の教師を目指して、本格的に声楽を習ったりしたこともあった。
 祖母から譲られた三味線と琴を弾くこともある。今日はギターを弾いていた。
 すべて独学で楽しんでいる。テストステロンが羨ましい。
 いつか娘のテストステロンが減少する日が来ても、この経験が活かされるだろう。


 私にだってこのブログがある。悔しまぎれにちょっと呟いてみた。


弟に電話が繋がらない

 母の年金の関係書類を作成するために、弟の携帯に3日連続メールと電話をしているが、繋がらない。
 電話やメールなど、年に1度あるかないかなの頻度なので、当初は面倒くさいのかなと思ったりもしたが、ちょっと心配になってきた。
 たった一人の弟とは8歳違いで、普段はろくに連絡も取り合わない。
 私は妻の実家の隣に住み、弟は義妹の母と同居している。
 それぞれ妻の実家との距離が近くなり、自分達の実家との距離が遠くなったことで、自然と兄弟も縁遠くなった。
 私の一人娘と、弟の子どもたち(兄妹)も、別に連絡は取っていない。


 父が亡くなり、貯金と不動産が遺産となった。
 貯金は弟が管理し、不動産は私が管理している。
 ちなみに不動産の登記は、母の名義に書き換えた。
 母の年金の口座も弟が管理している。


 94歳の母は、要介護2で、会話はできるし、近所を補助器具を使って散歩もできる。
 父と母は、息子たちの世話にはならず、二人で生活していた。
 父が亡くなり、母と兄弟で話し合って、実家から徒歩で10分ほどのところにある老人介護施設に入居した。
 母はコロナ禍の前までは、仏壇に手を合わせに実家に散歩に行く(?)のが、日課だった。


 老人介護施設に入居するのあたって、弟が手続きした。
 母の年金だけでは月々の費用が不足するので、父の貯金から切り崩している。
 弟は今までも、数度の母の手術の時には必ず立ち会った。
 私は1度立ち会ったことがあるだけである。


 母は94歳とはいえ、炊事以外の日常生活は自分でできる。
 私は週に一度電話をかけることと、2~3か月に一度会いに行くことを孝行と称している。
 不義理な息子であるが、これが精神的に限界である。


 正直母が苦手である。
 電話は、ほとんど生返事である。
 会いに行っても、そそくさと(今の)家に帰る。
 父が亡くなってから、ずっとこんな感じである。


 ところが、これまで母親思いと私が勝手に思っていた弟が、ほとんど母に会わなくなった。
 連絡も一切取らない。
 私は元来弟と連絡を取り合う仲ではなかったので、どうということはないが、母親は当然気を揉む。
 一度だけ「たまには会いに行ってくれ」と言ったが、結局行かなかった。


 さて、弟の携帯ではなく、自宅に電話をかけなくてはならない。
 かつては兄弟仲はとても良かったが、縁遠くなってからは他人行儀だなので、気が重い。
 日延したが、明日には電話しよう。