wasuremono60のブログ

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ナイト・ドクター

 ドラマ設定と言えば、警察か病院か学校・・・というくらい、毎日どこかの番組でやっているなあ。もちろんドラマは設定で決まるわけじゃないけど、こう同じような設定だらけだと、まず見ようという気になるかどうか。待てよ。そもそも製作側は「刑事好き」「医者好き」「学校好き」なそれぞれの愛好者だけが見てくれればよし・・・とでも思っているのだろうか。


 その中でも、病院はまだまだ未開拓の設定がありそう。というわけで今シーズンは、「ナイト・ドクター」と「TOKYO 東京MER」の2本。
 「ナイト・ドクター」は、簡単に言えば、夜勤の救急医の群像劇。脚本が大北はるかさんで、同じ月9の「ラジエーションハウス」という放射線科医の群像劇とちょっと似た感じ。


 正直いまひとつ面白くない。その理由は明白で、すべての登場人物がどこかでみたことある設定なこと。「母親を救急に受け入れてもらえずに失った熱血主人公」「手術の事故で裁判中の医者」「両親を早くに亡くし、病気の妹の面倒を一人で見る医者」「実は真面目なのだが性格悪い設定の医者」「病院長の息子で生まれつき腎臓が悪い医者」「元はニューヨークで夜間勤務専門の救急医だった上司」とまあ、これだけいろいろな設定混ぜ込んで、どうだ! といいたいのだろうけど、残念ながら一つとしてこのドラマオリジナルな設定がない。脚本って、本当に大変だ。


 ドラマは登場人物の設定で、面白いかどうか決まる・・・なんて言われたら、これだけ次々とドラマが作られて、もう新しいことが考えつかない! ってなるよね。
 でも、「プロレスラーが親の介護する話」とか、「結婚と離婚を3回して、いまだにその3人と関係がある主人公の話」とか、「お笑い芸人をめざしたが、結局解散するまでの話」とか、まだまだ見たことない話ってあるよなあ。


 でもドラマって、TVだけじゃないからね。映画や小説やマンガや、もうありとあらゆるところで消費されてるからな。


 ナイト・ドクターに話しを戻します。もう設定はいいから、後はその設定を超えたストーリーを期待します。あと何話残っているのかわからないけど、最後まで見続けます!


晴天を衝け 「パリの御一新」

 オリンピックが終わり、大河ドラマが再開した。
 「大河? 朝の連ドラと基本は同じだろ」という作者の声が、私だけに聞こえた時から、ファンになった。ちなみに朝の連ドラは「あまちゃん」以外、見たことがない。


 パリでの渋沢一行は、日本で何が起きているのかわからずにみな落ち着かない。
 大河ドラマの、しかも明治維新の舞台がパリって、もうわくわくするしかない。
 そういえば、「いだてん」のストックホルムも良かったな。


 情報が全く無く、1本の手紙すら真偽がわからない栄一たち。
 この場面で、渋沢の壮大なオリジナル・ストーリーをでっち上げない作者に、拍手。
 情報不足で焦る様子だけで、物語は地味だが人間模様を表現する場と、割り切った選択は大正解。


 明治維新といえば、有名人目白押しなのに、あえて名前も知らない役者を歴史上の人物にキャスティングして、ちょこっと(実際には言ってもいない)セリフ言わせてハイおしまい。歴史の再現ドラマじゃない!っていう自負心が、この作者の真骨頂か。(勝手に解釈)
 だからパリ編も良かった。


 会話のやり取りがわかりやすいだけでなく、会話のない場面での伝えたいことが、とっても伝わってきて、楽しめる。作者も演出もGOOD。
 前作の「麒麟が来る」は、主役をはじめ、登場人物が何を考えているのかさっぱりわからない場面が多く、フラストレーションがたまりまくった。登場人物に対して「この人何考えて行動してるの?」って疑問を持ち始めると、感情がないゾンビと同じに見えてくる。新解釈信長像は面白かったが、主役の光秀が最後まではっきりしなくて、1年を棒に振った。


 過ぎたことは忘れましょう。それよりも、渋沢栄一がどんなふうに晴天を衝くのか、目が離せません!


仕方がないのか

 一連の日本のコロナ対応を、どのように評価したら良いのだろう。
 最低だと言う人もあれば、まずまずだと言う人もいる。世論全体としては、政権支持率は下がる一方だし、対応を評価する人は3割から4割である。


 こういってはなんだが、政治家は三流だが、官僚は一流とかつては言われていた。いざとなれば、優秀な官僚たちが政治家を動かす。
 さて時は流れて、政治家が三流から一流になったかといえば、お世辞にもそんな素晴らしいことにはなっていない。それはお前の偏見で、政治家はみなレベルアップしたといわれるならば、私とは見えている世界が違うとしか言いようがない。


 話を戻す。そうなると頼れる者は官僚である。今行われていることが、私ごときにわかるはずはなかろうが、コロナ禍も一年と半年を過ぎて、聞こえてくる話で「さすがだな」と思える話がないのは、なぜなのだろう。
 「こんな手を打っていた」とか「こんなふうに乗り切った」とか言う話が、全然ない。


 コロナはクルーズ船から始まった。クルーズ船からは岩田医師のSNS情報とかも流れてきたが、実態はよくわからなかった。一年ほど経ってNHKで見たスペシャル番組では、医者を始め関係者は結構頑張っていたんだな、ということを知った。
 私は、「未知の感染症に、完璧ではないがあの時点では、それなりに対応できていた」と感じた。


 後はどうだろう。もう少し時が経つと、「実はこうやって感染は抑えられていた」なんて話が出てくるのだろうか。
 政治家の無策はともかく、「さすが日本の官僚だな」と思われるものは、残念ながら無い。
 諸外国を引き合いに出して、我が国の無能を指摘する気はないが、逆に「日本は外国に先駆け、こんなことができた」と言えることがあるのか。


 スイスの科学出版社『フロンティアズ』が、5~6月に世界24カ国の約2万5000人の研究者に対して、自国のコロナ対策がどの程度科学的かアンケートしたものを英『エコノミスト』誌が紹介している。
 日本は24カ国中17位で、アジア5カ国中では最低だ。


 いやいや。政治家や官僚の無能を嘆いてばかりいては、いけない。
 私たち日本人は、今や世界ではそのレベルの国なのだと、自覚すべきということなのかもしれない。
 嘆くべきは、日本人がどんどん阿呆になっていくことだったのか。